第7回コラム

国産ジーンズ誕生記 その6

< 工場はどうなった? >

 

ビッグストンその後

 

世の中がオイルショックから脱し、BIG STONEが消滅した後、日本は本格的な高度成長・所得倍増を迎えます。

 

ジーンズはベトナム反戦運動のアイコンになったり、青春ドラマの主役達は必ずと言っていいほどベルボトムのジーンズを着用したり、ジーンズは若い世代のアイデンティティーとして、需要がピークを迎えます。

 

東北地区の主だった旧BIG STONEの工場は、旺盛な国内需要に支えられて、復活を果たします。

宮城県栗原市の高畑縫製はリーバイスを、東北ビッグストンは独立工場としてラングラーを、秋田ビッグストンは縫製加工業のサンダイヤに買収され、エドウィンの協力工場となります。

 

東北ビッグストンは80年代半ばには、ラングラーから、成長著しいエドウィンの協力工場となります。

90年代半ばにはエドウィンとの契約も終了し、規模を縮小しながらも、現在も独立した工場として操業しています。

 

石巻の本工場は、2011年の東日本大震災で半壊して操業停止となるも、栗原市の分工場に移転して細々と操業を続けています。

 

洗い工場は、私が知る限り、東北地区には独立系としては3つあり、秋田県能代のジーンズ秋田ダイイチ、宮城県栗原市の千田クリーニング、宮城県大崎市の三松商会。

ダイイチは廃業してしまいましたが、後者の2社は今でも操業を続けています。

 

 

サキュウの工場

 

そう、長い前フリでしたが、サキュウはここ、旧東北ビッグストンで縫っています。

今では少人数で、サキュウで100%埋まってしまうので、旧東北ビッグストン産のジーンズは世の中でサキュウだけになりました。

 

社員さんの中には、当時から在職している大ベテランの方がおられ、先のパタンナーのビッグマム、渡辺千代子夫人に至っては、石巻の本社工場の目の前に住んでおられました。

 

私がキャントンになぞって国産ジーンズの歴史を詳しく語れるのは、他でもない、東北ビッグストンの社長から直々に聞いた話しがベースなのです。

とてもここでは書けないトンデモ話まで含めて、昔は色々苦労や笑いがあったようです。

 

サキュウは、洗いも宮城県大崎市で行っており、「Made in 東北」のジーンスです。

 

国産ジーンズの生き字引そのものの工場で、今日もサキュウは生まれています。

 

サキュウが東北で作っているのは、東北の方が児島より何かが秀でているとかではなくて、私の前職がエドウィンだった事に関係します。

エドウィンは青森・秋田・宮城に生産基地があったので、その時のお付き合いが今でも続いているだけで、自然な流れによります。